どうもこんばんは
今回はプラチナの値段について書いていきます
お付き合いいただければ幸いです

 

さて、現在プラチナは金の3/2程度の金額で取引されていますが、
2015年初頭までは金よりも高値で取引されていました。
2011年~2013年にかけても一時的に逆転は起こっていたので
イメージ的には2010年頃までがプラチナの価格のピークだったと言ってよいでしょう。

 

ではなぜプラチナの金額は下落してしまったのか?
その話をする前に金とプラチナの需要構造の違いを書いていきます。

以前少し書いたと思いますが、金はぞの希少性と高い通貨価値によって
値崩れしない金属の代名詞とされ、投資用に高い資産価値を誇っていますがプラチナはそうではありません。

 

プラチナというと宝飾品の素材というイメージがあるかと思いますが、
実際はその60%以上が工業利用であり宝飾品、投資用の需要が高い金とは需要の構造が大きく異なります。

 

取引が始まった当時、プラチナの価格下落は想定されていませんでした。
このことは会員制のサービスやクレジットカードのランクで
ゴールド(金)の上にプラチナが設定されていることなどから窺い知ることができます。

 

プラチナの価格が落ちないとされた根拠はその希少性にありました。
実際、2016年のデータではプラチナの産出量は金の約16/1程度しかありません。

希少性を保っているプラチナの価格が下落したのは「需要と供給のバランス」によるものです。資産価値、通貨価値を持ち乱暴な言い方をすれば「持っているだけでいい」金と比べ工業利用が需要の六割以上を占めるプラチナは「用途が決まっている」為に
プラチナを利用している事業の浮き沈みなど様々な要因によって値崩れする可能性を内包していたのです。

 

それでは、プラチナの金額下落の最大要因とはなんだったのか?
一般に言われる理由としてはディーゼル車の販売減少です。

プラチナの工業利用のうち、最も多い割合を占めるのがディーゼル車の排ガス向け触媒なのですが、2015年に某王手自動車メーカーの排ガス不正問題が発覚、ディーゼル車の販売シェアが減少しプラチナの需要と供給のバランスが崩れます。

また、主要産出国である南アフリカの通貨下落もプラチナの価格下落に拍車をかけています。プラチナは産出量の約七割が南アフリカ一国に賄われているので経済の低迷や政治の混乱の影響を大きく受ける結果になってしまったのです。

以上の理由からプラチナの金額は金に大きく水をあけられてしまいました。

 

いかがでしたか?
またお会いできるのを楽しみに
最期までお読みいただきありがとうございました

お久しぶりです

今回は前回の続きになります

また長文になりますが、お付き合いいただければ幸いです

 

3:征服と略奪

モクテスマ二世は初めて見る白人の騎兵に驚き、戦わずに恭順の意を表し時の英国王カルロス1世に財宝を献上しました。
当時の資料には国王に献上された財宝の目録があるそうですがコルテスの部下の告白によると実際にはもっと多く、その3分の1はコルテスが略取・隠匿したそうです。

コルテスの手下の中には隠匿された財宝の一部を見たという者もおり、
その一人ベルナル・ディアス・デル・カスティリョは次のように記しています。

 

「扉が開けられたとき、コルテスと何人かの首領が先に入った。そこには凄まじい量の宝石や、金の板をはじめとするさまざまな財宝があり、みな唖然として声も出なかった。まだ若く、それほどの莫大な富を目にしたことがなかった私は驚嘆し、間違いなく世界にまたとない量の財宝だと思った。」

 

 

真実の数字は判然としませんが、アステカの財宝は溶解されて金塊となり、国王が20%、コルテスに20%、その他は船乗りや聖職者の俸給、征服に要した馬や武具の代金などに充てられ、残りはキューバ総督など事業への出資者に分配されました。

 

3-1:悲しみの夜と黄金の行方

カルロス一世にも内密に莫大な財宝とアステカを治める権勢を得たコルテスですが、
かつての上司であるキューバ総督に命令違反の罪で軍隊を差し向けられていました。
追っ手を破る為にコルテスが都を離れている間に事態は一変します。

 

それは1520年6月16日の事でした。
留守を任されていたペドロ・デ・アルバラードの部隊が祭典中のアステカ人たちを虐殺してしまったのです。

 

アステカの祭事は先日の記事に書いた通り神への捧げものとして生きた人間の胸から心臓を抉り出すという凄惨なもので、その光景を見たスペイン人が恐慌状態となり事件に繋がりました。

 

コルテスがキューバからの追討軍を破り帰還した時、町は暴動を起こすアステカ人で溢れていました。報告を受けたコルテスは激怒し、6月29日に暴徒の説得をモクテスマ2世に命じますが彼の言葉は民衆には届きませんでした。

 

そればかりか代理政権を樹立したアステカの民たちは、説得のために現れたモクテスマ2世に石を投げつけ殺害してしまいました。

 

モクテスマ2世の死によって後ろ盾をなくし狂乱する民衆に対処しきれなくなったコルテスは駐留していた部下と略奪した財宝を持って都からの脱出を図るのですが、財宝の量が多くアステカ人たちに追いつかれてしまいます。

大量の財宝を守りながらの撤退戦は混乱を極め部隊は潰走、コルテスは逃げ延びましたがほとんどの財宝と1000人にも上る部下を失いました。

この夜の事をスペイン語で悲しき夜(ノチェ・トリステ)といいます。

 

さて、コルテスの元から失われた財宝は二度と彼の元に戻ることはありませんでした。
都を脱し体勢を整えた彼は再びアステカの征服を開始し、最終的に再びアステカの統治者となるのですが征服の末に彼が都を再び訪れたとき、持ち出しに失敗した分は愚か宮殿を彩っていた財宝は何処にもなかったのです。

 

これはモクテスマ2世の後継者クィトラワクが宮殿にある全ての宝を部下に命じ隠させたことによるもので、後の時代の探検家や冒険家の捜索もむなしく現在に至るまで発見されていません。

いつしかアステカの財宝は伝承や物語の中でのみ語られる存在となり、歴史の闇に沈んでしまいました。

 

いかがでしたか?
お名残惜しいのですがここでネタ切れとなしました

またお会いできるのを楽しみに

最後までお読みいただき有難うございました

こんばんは
本日は金の歴史について書きたいと思います
長くなりますがお付き合いいただければ幸いです

 

以前にも少し書きましたが、金はその輝きと希少性から
人類史において財力と権力の象徴とされ多くの争いのもととなりました。

 

今回は金を巡った争いの歴史の中で滅亡した文明についての記事になります。

 

その国は12世紀ごろから続く民族移動の末、彼らが南米の盆地に定住したことに端を発し先住民との争いや部族間での抗争を経て成立しました。

 

併呑した様々な民族の神話や伝承を取り入れた複雑な信仰体系と優れた天体観測技術による現代に劣らない暦、そして大規模な神殿の建造などにより培われた建築・水利工事に関する高い技術を誇りました。

 

また、日常的に雨乞いや豊作祈願などの神事に人身御供を用いたため生贄の確保を目的とした戦争を周辺諸国に仕掛けており、敵の多い国でもありました。

 

後の世にアステカと呼ばれるこの文明は1521年に
コンキスタドール「エルナン=コルテス」の侵略により歴史の大海に没します。


1:エルナン=コルテス
エルナン=コルテスはコンキスタドーレスの一人としてキューバ征服に参加しました。
勇敢な指揮官として功績を認められたコルテスはキューバ総督
ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルの秘書官の地位を手に入れました。
しかし、より多くの奴隷を求めベラスケスに無断で
アステカと敵対関係にあった周辺部族と同盟を結び1519年アステカに侵攻しました。

 

2:モクテスマ二世
1502年に王位についた彼は同盟関係にあった異民族の国を占領しアステカの最大版図を築いた為政者でした。
教養高く、占星術師として優れた技を持っていたとされる彼でしたが、
信仰する神話との偶然の一致からコルテスに恭順、彼らを歓待し財宝を献上しました。
結果的にコルテスの傀儡として利用された彼は代理政権を建てた自国の民に石をぶつけられて殺されるという無残な死を遂げました。

 

2-1:恭順の背景
奇しくもコルテスが初めてアステカの地を踏んだ1519年はかつてアステカの地を追われた白い肌の神「ケツァルコアトル」が帰還するとされる「一の葦」の年でした。
その為、肌が白いコルテスは信心深いモクテスマ二世の目には
神の化身、或いは神そのものとして映り恭順の姿勢を取らせることになりました。

 

 

まだ肝心の金の話に辿り着いていませんが、

既にだいぶ長くなってしまったので今回はこの辺で

またお会いできるのを楽しみに

最後までお読みいただき有難うございました。

こんばんは
今回もLouis Vuittonの真贋について書いていきます。
お付き合頂ければ幸いです。

 

3:金具(金属部分)
ファスナーやボタン、バックのハンドルの調整部分やリベット(底鋲)、
アイテムによっては付属しているパドロック(南京錠)等の金属部分。
この部分も杜撰な仕上がりになっているコピー品が多く、正規品との差が出やすい箇所になります。

 

3-1:メッキの色味
コピー品の多くは光沢の強い金色に塗装されており強く光って見えることが多いです。
単体で見れば高級感がある光り方かもしれませんが、製品本体と色合いの調和がとれておらず、不自然に光って安っぽい印象を受けます。

また、塗られ方も均一になっておらず場所によって色合いが微妙に違って見えたり
経年による剥がれ方も正規品とは違うものになります。

 

3-2:手触り
正規品は万に一つも怪我などしないように丁寧に面取りされており、
触った時に尖ったところがなく滑らかな感触になっています。
コピー品の場合面取りが甘く、指で触れたときに引っ掛かりを覚える個所があります。

 

3-3:形状
ルイヴィトンで使われている金具は形状に特徴があり、
特にファスナープルとボタンの凸側の形状は重要な真贋ポイントになっています。

 

3-3-1:ファスナープル
ファスナープルは二つの金具を繋ぎ合わせたような形状になっており、
側面から見ると横方向に二分する銭が入っているのが分かります。
また、ロゴの刻印が雑でVの左右の太さが同じになっていたりします。

 

3-3-2:ボタンの留め具
財布やキーケースのボタン凸側の形状は簡単に見分けられるポイントです。
正規品のボタン先端部分はキノコ型の三角形になっていますが、基準外のものは丸い形状が多いです。

 


では今回はこの辺で
またお会いできるのを楽しみに
最後までお読みいただき有難うございました

こんばんは
今回もLouis Vuittonの真贋について書いていきます。
お付き合頂ければ幸いです。

 

2:ロゴ
全てのリリースに必ず入っているこのロゴマークですが、意外と模倣しきれていない箇所でもあります。

 

2-1:Oの文字の形
ルイヴィトンのロゴはOが円形で○のような形なのですが、粗悪なコピー品では楕円形になっています。

 

2-2:Tの文字の形

正規品のTの字形は横棒が短くデザインされており、縦に長いデザインになっていますが、基準外の品物のロゴでは通常のフォント同様横棒が長いものがあります

 

2-3:印字

字体の他にも刻印が雑で文字が潰れてしまっていたり、印刷が甘い為そもそも読めないものや、縫製の一部がロゴにかかってしまっているものもあります。

 

勿論、上記の点をすべてクリアしているコピー品も存在するのでロゴだけで判断するのは早計です。他の真贋ポイント同様、確かめるべき項目の一つとしてとらえましょう。
また、印字の粗さに関しては、中古の品やかなり古いモデルの場合
当時の技術面や経年劣化等により判断が難しくなってしまっている場合があります。

 

では今回はこの辺で

またお会いできるのを楽しみに

最後までお読みいただき有難うございました

こんにちは

本日は中国の切手について書いていきます

お付き合いいただければ幸いです

f:id:ValeriaTrifa:20190621121110j:plain

こちらの写真は三種類で1セットの物です。 

さて、中国切手は何枚かのセットでリリースされており、

左下の通し番号で確認する事が出来ます。

 

どれもコンプリートした状態でお持ち頂ければ、

査定の際により良い価格を提示出来ますので全種御揃いの物がございましたら是非とも当店にお持ちください。

 

では今回はこの辺で

またお会いできるのを楽しみに

 

最後までお読み頂き有難うございました

こんばんは

前回お話しした通り今回はLouis Vuittonを例に
コピー品と正規品の差(真贋ポイント)を書いていきたいと思います
お付き合いいただければ、幸いです

1.シリアルナンバー

全ての正規品に刻印されている個体番号のことで
現在はアルファベット二桁+数字四桁で記されており、製造された場所と時期を表しています。
(例外としてフランスの一部の工場などではアルファベット三文字だったり数字が使われていたりしますのでご留意ください。)
例えばAB1234、CD5678のような形で製品のどこかに刻印されています。

この文字列の記載がない場合は下記のような場合を除きコピー品となります。

  • シリアルナンバーの記載が始まる以前のリリース
  • シリアルが経年劣化で消えてしまったケース(後述)
1-1.製造国表示

文字列最初のアルファベットは製造された国と工場を表すもので、
仏、西、米、伊、瑞、独の六か国に作られた工場に対応するものです。

フランス
AA,AC,AH,AN,AR,AS,BA,BJ,BU,CT,DU,ET,FL,LW,MB,MI,MS,

NO,RA,RI,SL,SN,SP,SR,TH,TR,TJ,VI,VX,A1,A2A3,AAS

スペイン
CA,GI,LB,LM,LO

アメリ
FC,FH,LA,OS,SD

イタリア
BC,BO,CE,FO,MA,RC,RE,TD

スイス
D1,FA

ドイツ
LP

現在知られている物は以上ですが(抜けがあったらごめんなさい)、今後新しい工場が作られた場合等は新しいものが増えていくと思われます。
また、DKというアルファベットが入ったものは正規店で修理(リペア)された際にいれられるものです。

1-2.製造年表示

後半の三桁~四桁の数字は製造された時期を表し、前述のアルファベットと合わせることでいつ、どこで作られたか?を示します。
このシリアルナンバーですが、現在までに何度か表記が変更されているので以下に纏めました。

  • イ:1980~84年このころはアルファベットによる製造国の表記はなく数字のみでした。前二桁が製造年、後ろが製造月を示します。

   例)831、828、etc

  • ロ:1985~88年アルファベットによる製造国の刻印が開始されました。しかしアルファベットに位置に統一性はなく、製品によって数字の前についたり後ろについたりと差があります。

   例)8811SP、MI862、etc

  • ハ:1989年アルファベットの位置が文字列の先頭に統一されました。
  • ニ:1990~2006年ここから読み方が変わります。四桁の数字うち二文字目、四文字目が製造年一文字目、三文字目が製造月を表します。

   例)MI0045(フランス05年4月)、CA1013(スペイン03年11月)

  • ホ:2007年以降読み方は1990年~2006年までと同じですが、一文字目と三文字目が製造週を表すようになりました。

   例)FA4186(スイス16年48週)

 

1-3.シリアルナンバーを探す際のコツと注意点

さて、このシリアルナンバーですが本来は製作者サイドが製品の管理をするために振られているものでユーザー向けの番号ではありません。
その為、ポケットの内側や縫い目の淵、革タグの裏などの目立たない箇所に記されていることが多いです。なので発見はできてもかなり読みづらい場合もあります。
シリアルを探すために無理に力を加えすぎた結果壊れてしまった…などということがないようにしたいですね。
また初期の製品は刻印ではなく印字さてていた為、経年により消えてしまっている場合もあります。例えば、財布などの場合コインケースの内側等に記載されていて、使用しているうちにコインで削れて消えてしまった、などが考えられます。

1-4.型番との違い

Louis Vuittonの製品には上記のシリアルナンバーとは別に型番があります。
この型番はアルファベット1文字と数字5桁の組み合わせでリリースごとに割り振られています。
例)M40157、M67823etc
この文字列は正規店や公式サイトの商品ページで調べることができます。
注意したいのはこの型番は商品に刻印されることはないということ。
一部アクセサリ等には記載されている場合もあるようですが、バッグや財布などには記載されません。
もし、こちらが記載されたバッグ等がありましたらそれらはコピー品である可能性が極めて高いです。

長くなってしまいましたが今回はこれで
次回もLouis Vuittonの真贋ポイントについて書きたいと思います。