こんばんは
本日は金の歴史について書きたいと思います
長くなりますがお付き合いいただければ幸いです

 

以前にも少し書きましたが、金はその輝きと希少性から
人類史において財力と権力の象徴とされ多くの争いのもととなりました。

 

今回は金を巡った争いの歴史の中で滅亡した文明についての記事になります。

 

その国は12世紀ごろから続く民族移動の末、彼らが南米の盆地に定住したことに端を発し先住民との争いや部族間での抗争を経て成立しました。

 

併呑した様々な民族の神話や伝承を取り入れた複雑な信仰体系と優れた天体観測技術による現代に劣らない暦、そして大規模な神殿の建造などにより培われた建築・水利工事に関する高い技術を誇りました。

 

また、日常的に雨乞いや豊作祈願などの神事に人身御供を用いたため生贄の確保を目的とした戦争を周辺諸国に仕掛けており、敵の多い国でもありました。

 

後の世にアステカと呼ばれるこの文明は1521年に
コンキスタドール「エルナン=コルテス」の侵略により歴史の大海に没します。


1:エルナン=コルテス
エルナン=コルテスはコンキスタドーレスの一人としてキューバ征服に参加しました。
勇敢な指揮官として功績を認められたコルテスはキューバ総督
ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルの秘書官の地位を手に入れました。
しかし、より多くの奴隷を求めベラスケスに無断で
アステカと敵対関係にあった周辺部族と同盟を結び1519年アステカに侵攻しました。

 

2:モクテスマ二世
1502年に王位についた彼は同盟関係にあった異民族の国を占領しアステカの最大版図を築いた為政者でした。
教養高く、占星術師として優れた技を持っていたとされる彼でしたが、
信仰する神話との偶然の一致からコルテスに恭順、彼らを歓待し財宝を献上しました。
結果的にコルテスの傀儡として利用された彼は代理政権を建てた自国の民に石をぶつけられて殺されるという無残な死を遂げました。

 

2-1:恭順の背景
奇しくもコルテスが初めてアステカの地を踏んだ1519年はかつてアステカの地を追われた白い肌の神「ケツァルコアトル」が帰還するとされる「一の葦」の年でした。
その為、肌が白いコルテスは信心深いモクテスマ二世の目には
神の化身、或いは神そのものとして映り恭順の姿勢を取らせることになりました。

 

 

まだ肝心の金の話に辿り着いていませんが、

既にだいぶ長くなってしまったので今回はこの辺で

またお会いできるのを楽しみに

最後までお読みいただき有難うございました。