お久しぶりです

今回は前回の続きになります

また長文になりますが、お付き合いいただければ幸いです

 

3:征服と略奪

モクテスマ二世は初めて見る白人の騎兵に驚き、戦わずに恭順の意を表し時の英国王カルロス1世に財宝を献上しました。
当時の資料には国王に献上された財宝の目録があるそうですがコルテスの部下の告白によると実際にはもっと多く、その3分の1はコルテスが略取・隠匿したそうです。

コルテスの手下の中には隠匿された財宝の一部を見たという者もおり、
その一人ベルナル・ディアス・デル・カスティリョは次のように記しています。

 

「扉が開けられたとき、コルテスと何人かの首領が先に入った。そこには凄まじい量の宝石や、金の板をはじめとするさまざまな財宝があり、みな唖然として声も出なかった。まだ若く、それほどの莫大な富を目にしたことがなかった私は驚嘆し、間違いなく世界にまたとない量の財宝だと思った。」

 

 

真実の数字は判然としませんが、アステカの財宝は溶解されて金塊となり、国王が20%、コルテスに20%、その他は船乗りや聖職者の俸給、征服に要した馬や武具の代金などに充てられ、残りはキューバ総督など事業への出資者に分配されました。

 

3-1:悲しみの夜と黄金の行方

カルロス一世にも内密に莫大な財宝とアステカを治める権勢を得たコルテスですが、
かつての上司であるキューバ総督に命令違反の罪で軍隊を差し向けられていました。
追っ手を破る為にコルテスが都を離れている間に事態は一変します。

 

それは1520年6月16日の事でした。
留守を任されていたペドロ・デ・アルバラードの部隊が祭典中のアステカ人たちを虐殺してしまったのです。

 

アステカの祭事は先日の記事に書いた通り神への捧げものとして生きた人間の胸から心臓を抉り出すという凄惨なもので、その光景を見たスペイン人が恐慌状態となり事件に繋がりました。

 

コルテスがキューバからの追討軍を破り帰還した時、町は暴動を起こすアステカ人で溢れていました。報告を受けたコルテスは激怒し、6月29日に暴徒の説得をモクテスマ2世に命じますが彼の言葉は民衆には届きませんでした。

 

そればかりか代理政権を樹立したアステカの民たちは、説得のために現れたモクテスマ2世に石を投げつけ殺害してしまいました。

 

モクテスマ2世の死によって後ろ盾をなくし狂乱する民衆に対処しきれなくなったコルテスは駐留していた部下と略奪した財宝を持って都からの脱出を図るのですが、財宝の量が多くアステカ人たちに追いつかれてしまいます。

大量の財宝を守りながらの撤退戦は混乱を極め部隊は潰走、コルテスは逃げ延びましたがほとんどの財宝と1000人にも上る部下を失いました。

この夜の事をスペイン語で悲しき夜(ノチェ・トリステ)といいます。

 

さて、コルテスの元から失われた財宝は二度と彼の元に戻ることはありませんでした。
都を脱し体勢を整えた彼は再びアステカの征服を開始し、最終的に再びアステカの統治者となるのですが征服の末に彼が都を再び訪れたとき、持ち出しに失敗した分は愚か宮殿を彩っていた財宝は何処にもなかったのです。

 

これはモクテスマ2世の後継者クィトラワクが宮殿にある全ての宝を部下に命じ隠させたことによるもので、後の時代の探検家や冒険家の捜索もむなしく現在に至るまで発見されていません。

いつしかアステカの財宝は伝承や物語の中でのみ語られる存在となり、歴史の闇に沈んでしまいました。

 

いかがでしたか?
お名残惜しいのですがここでネタ切れとなしました

またお会いできるのを楽しみに

最後までお読みいただき有難うございました